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松前国際友好財団の事務所「けやきの家・峰月庵」はもともと、創立者・松前重義博士の同志の一人である足利惇氏博士夫妻の邸宅でした。
足利博士(写真右)と松前博士(同左)の縁は、それぞれが日本政府の奨学生として渡欧していた1934年にさかのぼります。当時日本政府は、次世代を担う優秀な若者たちをヨーロッパ諸国に派遣し、育成していました。足利博士は、古代ペルシャ語とサンスクリット語の研究のため、文部省から32年から35年までフランスやドイツ、ペルシャに派遣。松前博士は電気通信技術の研究のため、逓信省からドイツに派遣されていました。34年3月、松前博士がドイツからの帰国の途中で立ち寄ったパリの留学生会館「薩摩会館」(現・パリ国際大学都市日本館-薩摩財団)で2人は出会ったのです。
足利博士はのちに、「松前さんと自分との間には色合いの大きな違いこそあれ、人生に対して『これで行こう』という不動の精神が、次第に相互の理解と接近とを深めさせるようになった」(『松前文庫』第1集)と当時を振り返っています。
互いの帰国後も2人の交流は深まり、足利博士は京都大学退職後、東海大学文学部部長、学長に就任して松前博士を生涯にわたって支えました。「けやきの家」は、足利博士の没後、澄子夫人から本財団に寄贈され2002年から財団事務所として活用されています。修了式や研修の折に奨学者を迎える「けやきの家」も、松前博士と足利博士が結んだ「小さな糸」によって支えられています。